KAJIYA BLOG

人文系大学教員の読書・民藝・エッセイブログ

学生指導について〜課題を「発見」する

学生の指導は純粋に面白い。

以前も卒論指導についてそのような記事を書いたことがありますが、今日はその続編。

t-kajiya.hatenablog.com

 

学生のテーマを聞きながらいつも気にしていることがある。

それは課題を「発見」できているかどうか?

研究なのだから「課題」がなければ始まらないだろう、と思われるかもしれないが、ここでいう「課題」は少し一般的な意味と違う。

 

どういうことか、ちょっと考えを深めてみたい。

今は、「実学」とうたって、社会の要請に応える研究というのが推奨される時代。

要は「世の中の何の役に立つのか」という問いに答えられる研究をすべし、という風潮がある。

世の中の役に立つ研究は素晴らしいものだし、これを否定するつもりは全くない。むしろ役に立つことをやってほしい、と思う。

ただ、この問いに答えるために何か研究の大事なことを疎かにしていないか、ということがとても気になっている。

 

たとえば、「地域の過疎化」はよく学生が取り上げるテーマだ。
有効な解決策を提案できれば地域社会のから喜ばれるだろうし、実行不可能な提案であっても、研究を通じた考察はその学生の将来の糧となる。

この場合、ある地域の過疎化という現実があり、それに対する解決策を検討するための研究、という流れになりがちだ。

課題→研究(解決策)

真っ当な考え方で問題はない。

 

ところで、現代の大学生(最近は小学生でも、中学生でも)が身につけるべき能力として、「課題解決・課題発見能力」がうたわれている。

これらはセットで語られてしまっているが、能力としては全く別のものだ。

社会に出れば、それぞれの所属組織の中で課題山積で、上司の指示に従ってそれに向き合うことになることが多いだろう。課題はすでに与えられている。「年間売上を伸ばせ」「地域振興策を検討せよ」「新商品を開発せよ」「待機児童を減らせ」「働き方を改善せよ」などなど。

先ほどの「地域の過疎化」もすでに日本中どこにでもある、いわば「発見済み」の課題、与えられている課題。

社会に出ればだれでも「発見済み」の課題の「解決」に取り組むことになる。

 

一方で「課題発見」の方はどうだろうか? 

誰も気づいていない社会課題を発見するというと大変そうだが、すでに「発見済み」の課題であっても、さらに深掘りしていけば、未発見の側面は多くある。

過疎化を問題にするにしても、そもそも「過疎」とはどのような状態だろうか。Googleに聞けば「急激な人口減少によって生活基盤が維持できなくなり〜」という月並みな回答は得られるが、ではどれほどの人口が保たれれば、どのようなインフラが維持できるのだろうか。

あるいは高度経済成長期はむしろ「過密」が問題視されていたわけで、人が大勢集まることで発生する問題も数多くある。ではどれくらいのバランスが適当なのだろうか。
それは誰にとって、どの地域にとって、どのような属性の人にとって…。と考えていくと、過疎化を問題化するということはどういうことなのか、ということまで考え込んでしまう。

 

この問題に新しい課題意識から取り組み成功を収めている自治体が北海道にある。

東川町である。

東川町は過疎、過密という課題意識から離れ、「適疎」という概念を生み出し、自分たちなりの課題として設定した。

「自分たち町民にとって最も居心地のいい状態(人口や産業経済、インフラ、サービス)とはどのような状態か」という問いを持ち、結果として必要以上に人口を増やさない、減らさない「適疎」という価値観を町民で共有することにしたのだ。

 

higashikawa-town.jp

 

何度か東川町に話を聞きに行ったことがある。町長も気さくに応じてくれるフットワークの軽さが魅力の町だ。

この町は今や全国各地、世界各地から移住希望者がいる。町も移住者を歓迎しているが、毎年数十人から数百人の人口増でむしろ抑えるようにしているという。

急激な人口増は社会構造の変化を伴うし、それに対応する地域の負担も大きい。

また町では自分たちらしい暮らしを維持するためには人口1万人を超えない程度が適当であると考え、移住希望者は順番待ちの状態であっても、そこは曲げない。

 

この発想ができたのは、課題解決一辺倒ではなく、課題発見の意識があったからだと思う。「過疎」という与えられた課題だけではなく、その背後にある、あるいは別角度にある課題(つまり「東川町民にとっての豊かな暮らしとは何か?」という課題)の発見があったからこそ、他の自治体とは異なる解決策を見出すことができたのである。

 

この視点を第一に持つべきなのは研究者である。

そして、この研究者には学生も含めたい。学生は4年間とはいえ、実務から離れたところで研究活動をする期間が与えられている。

人間は社会で生きていけば、つねに「課題」が突きつけられ、日々その解決に迫られる。ある意味それが「仕事」だとも言える。

だから、現実社会から一歩引いた立場から課題に向き合える学生には、「解決」だけではなく、その問題解決の前の、問題発見の力を身につけてもらいたいと思うである。

課題→研究(解決策)

という流れを先に示したが、学生が研究テーマを考える上では、

発見→課題→研究(解決策)

というところまで踏み込んで考えてもらいたい。

「発見」こそ研究の醍醐味である。
むしろ「解決策」はなくてもよい。その検討は実際に現場で実務に当たっている人々の方が長けている。

私がおそろかになっていないかと気にかけているのはこの「発見」である。

「地域や時代の要請に応える」ことが求められる時代だが、「要請に応える」とは個別具体的な解決策を示すだけにとどまらないものだ。