KAJIYA BLOG

人文系大学教員の読書・民藝・エッセイブログ

『プロ倫』から神秘主義を経て民藝論にいたる

その後も学生たちと『プロ倫』を読み続けている。ちょうど第二章に入ったところで、いよいよ禁欲的プロテスタンティズムの分析に入るところだ。

この本を読みながらつくづく思うのは、欧米の学問にはキリスト教の知識が必要不可欠ということ。宗教改革カトリックプロテスタントの分裂、ルターやカルヴァンくらいまでの知識は誰でも持っているだろうが、敬虔派、パプティスト、メソジスト、分離派、クエーカーなどなど諸宗派の違いについては、キリスト教に普段馴染みのない人にはなかなかピンとこない。それらの諸宗派の教義まで理解しようとすれば(『プロ倫』を読むなら当然そこまで理解しなければ意味がない)、キリスト教神学についての最低限の知識も求められる。
さまざまな知識の紹介、整理、確認をしながら、わずか数ページを慎重に読み解き進める。寝ながら斜め読みの対極にある、時間も手間もかかる贅沢な読書様式だ。

さて、そうして『プロ倫』を読み進めながら、ふと自分がこれまで興味を持ってきたテーマとリンクする箇所に引っかかった。一見、自分のテーマと離れているような本を、外から与えられる形で読むことで、思わぬヒントを得る。セレンディピティである。この“引っかかり”を得ることが、実は、この手の読書会の真の目的でもある。

そのテーマとは“神秘主義”である。ルター派に関するくだりで「神秘的合一」という言葉が登場する。キリスト教では、しばしばある人物の心に神やキリストが現れたという神秘体験が語られる。時には、その間人は意識を失い、エクスタシー状態となることもある。こういった神との融合体験が神秘的合一だ。*1
神秘体験は当事者にしか理解し得ない。本当にそんな奇跡的なことが起こったのか、どうしてそのようなことが起こったのか、合理的な説明を他者にすることができない。神の思し召しは人間の理解を超えているわけだから、言葉を尽くしてもそれを説明することも、理解することもできず、ただ神が心に現れ語ったというしかない不可知論。時には聖痕が現れるといった身体的変化も語られるが、それは何か言葉では言い表し得ない神秘体験を外面化する一つの方法として語り継がれてきたことなのかもしれない。

私が長らく研究の対象としてきた柳宗悦の民藝論は、実は神秘主義的な思想といっても良いものだ。ここで『プロ倫』が“引っかかった”。

芸術家ではない工人が生み出す日常雑器がすなわち民藝であるが、柳はそこに美術品とは異なる美の世界があることを主張した。これが民藝論である。民藝論といえば即物的な印象を持たれるかもしれないが、以下に述べる通り、この思想には神秘主義が底流している。

柳が初めて民藝論をまとまった形で文章にしたのは、1926(大正15)年に発表した「下手ものゝ美」*2という一文である。その序で、柳は次のように述べている。

 無学ではあるけれども、彼は篤信な平信徒だ。なぜ信じ何を信ずるかさへ、充分に言ひ現はせない。併しその貧しい訥朴な言葉の中に驚くべき彼の体験が閃いている。手には之とて持ち物はない。だが信仰の真髄だけは握り得てゐるのだ。彼が捕へずとも、神が彼に握らせてゐる。それ故彼には動かない力がある。
 私は同じ様な事を、今眺めてゐる一枚の皿に就ても云ふ事が出来る。それは貧しい「下手」のものに過ぎない。奢る風情もなく、華やかな化粧もない。作る者も何を作るか、どうして出来るか、詳しくは知らないのだ。信徒が名号を口ぐせに何度もく唱へる様に、彼は何度もく同じ轆轤の上で、同じ形を廻してゐるのだ。美が何であるか、窯藝とは何か。どうして彼にそんな事を知る智慧があらう。だが凡てを知らずとも、彼の手は速かに動いてゐる。名号は既に人の声ではなく神の声だと云はれてゐるが陶工の手も既に彼の手ではなく、自然の手だと云ひ得るであらう。彼が美を工風せずとも、自然が美を守ってくれる。彼は何も打ち忘れてゐるのだ。無心な帰依から信仰が出てくる様に、自から器には美が湧いてくるのだ。私は厭かずその皿を眺め眺める。

柳はここで、平信徒が無心に名号=「南無阿弥陀仏」を唱えるように、民藝を作る者=陶工も無心に轆轤(ろくろ)を回している様を思い描く。熱心な信仰心から発せられる名号はすでに「神の声」であるのと同様に、無心にものを作る陶工の手は「自然の手」であるという。神が信徒の信仰心を守る様に、自然が陶芸の美を守る。民藝の美はそこに宿るのである。

民藝論は仏教哲学*3が基軸の一つとなっているが、「神」という言葉が用いられているように必ずしも仏教哲学に限定されない独特の宗教美学である。*4

また、信徒を神が守るのに対し、陶工を自然が守るという類比にも注目すべきだ。神=自然という図式はアメリカ・ルネッサンスを代表するエマソンの自然観が反映されている。

エマソンは18世紀の人物。プロテスタント・ユニテリアン派の牧師であったが、形式主義に対する嫌悪感から牧師の職を辞して思想家へと転じた。彼の思想を特徴づけるのはまさにその自然観だろう。エッセイ「自然 (Nature)」では、自然の中に溶け込み、そこで神=宇宙と一体化するという感覚が語られる。

むき出しの大地に立ち、いっさいの卑しい自己執着は消え失せる。わたしは一個の透明な眼球になる。いまやわたしは無、わたしにはいっさいが見え、「普遍者」の流れがわたしの全身をめぐり、わたしは完全に神の一部だ。*5

上は「自然」の中の有名な「透明な眼球」として知られる一節である。一読して、神秘体験を語っていることが理解される。

柳にエマソンを伝えたのは、学習院高等科時代の恩師で英語教師、服部他之助である。服部はエマソンをリーダーとして教え子たちに与えていたという。また生物学者でもあった服部は、毎年、赤城山に調査のため滞在していたが、その際柳宗悦志賀直哉らの白樺派メンバーも同行していた。柳は服部に導かれて、赤城の自然を前に、エマソンが語った神の摂理としての自然や宇宙を感じ取る神秘的な感性を身につけた。

「自然」には、「普遍者(the Universal Being*6 )の流れ」という表現も見えるが、これにはプロティノスの「一者(to hen)」の思想と同じものが読み取れるだろう。

そして、柳もしばしばプロティノスに言及し、「一者」という概念について考察を加えていることは興味深い。プロティノスは、一者との合一がエクスタシーをもたらすと説いた古代ローマのネオプラトニストである。柳はプロティノスをはじめとする西洋古代神秘主義、ついでヨーロッパ中世キリスト教神秘主義の考察を経て、「即如」という独自の用語を生み出すに至っている。「即如」とは美的対象や宗教的対象に対して、理性を挟まず、直接合一化して感じとる感覚を示している。民藝美感得の肝となる感覚である。

もう一度「下手ものゝ美」にかえろう。
民藝の作り手である陶工自身は「美が何であるか」を理解しないままに無心に轆轤をまわす。それ故に、生み出されるものには自ずから美が湧いてくる。なぜなら、自然すなわち「神」*7が陶工に流れ込むからである。陶工はまさしく「神秘的合一」を果たしている。「何も打ち忘れてゐる」陶工はいわばエクスタシーにある。柳は民藝美が生み出される場をこういうイメージで語っているのである。

古代ローマ神学が、中世キリスト教神学に結びつき、宗教改革アメリカ・ルネッサンスを経て、昭和初期の民藝論に流れ込む。壮大な知的系譜だ。*8

柳の自然観と神秘主義については、昨年論文にまとめている。
今はいったん別のテーマに関心を移していたが、『プロ倫』を読みながらふと神秘主義が頭をよぎったのであった。
そして、まだまだ書き足りないことがあったな、と改めて気づくのである。

旅先で二千円程度で購入した民藝のカップでコーヒーを飲みながら今このブログを書いている。なるほど柳のいう民藝美はこういうことかな、と思い、眺める。たった一つの器からだけでも、これだけの知的系譜を感じ取れるとは贅沢極まりない。

公開日:2022年1月29日

改訂日:2022年1月31日

*1:聖人誕生譚にも登場する。心に現れた神やキリストが、キリスト教徒としての生き方を語り、意識が回復した時には、新しく生まれ変わっている、つまり回心しているといった体験だ。

*2:「下手もの」とは「上手もの」の対義語であり、いわば「日用品」という意味である。ただ誤解を生みやすいという理由で、後に「雑器」という言葉に改めている。「下手ものゝ美」というタイトルも、その後は「雑器の美」と改められている。

*3:特に柳は浄土系、一遍上人に注目している。

*4:この東西を問わない汎宗教的な立場は、柳の師の一人である鈴木大拙の影響を思わせるし、西洋と東洋の融合を目指す柳の思想背景には、ウィリアム・ブレイクバーナード・リーチの影響が読み取れる。

*5:エマソン論文集(上)』岩波文庫,p.43

*6:the Project Gutenbergで「自然」の原文を読むことができる。https://www.gutenberg.org/files/29433/29433-h/29433-h.htm

*7:あるいは「普遍者」、「一者」と言い換えてもよい

*8:むろん民藝論は、これだけではない。浄土仏教、禅といった仏教哲学や日本の伝統文化に関する知識の役割も大きい。柳の膨大な蔵書は、和書・洋書・漢籍がそれぞれ三分の一ずつで構成されているという。