KAJIYA BLOG

人文系大学教員の読書・民藝・エッセイブログ

石原千秋『未来形の読書』を読みなおす

研究室の本棚の新書を整理していて、久しぶりにこの本を手に取った。

石原千秋さんといえば、私が大学院生だった時、文学研究界、新進気鋭の代表格のような存在。一生懸命読んだ。この本は2007年に出版である。

文学理論について平易な言葉で、具体例も挙げて説明してくれている。
私の授業で難解な理論を説明する時にこの本は活用させていただいた。

今回、改めてパラパラ読み直していると(本棚の整理をすると大体こういうことになる。いつの間にかそれまで読んでいた本を一旦置いといて、こっちの本を最後まで読んでしまう。)読書論としても改めて学生に薦めてみたい本だったと気づいた。

本を読んでもらいたい、という気持ちからいろいろ読書論を読んで、それをもとに学生ともお話しをすることがあるけれども、この本ももっと早くに薦めていたらよかったと思う。

 

「読書術」というタイトルを冠しているのだから、やはりどう本を読むのか、ということがテーマにはなっている。

けれども、一般的な読書論、読書術とは観点が違う。

一般的な読書論は、読書の効用の理解からはじまり、どんな本をどうやって読めば良いのか、読めるようになるにはどうすれば良いのか、といった感じで、読書を励行していくだろう。

それに対してこの本では、まず「読書とはどういう行いなのか」というところから始める。大学の先生らしい導入である。

 

読書には「未来形」と「過去形」の二つの読み方がある、という。

まずは「過去形」について。

人は本を読む前から本の周辺の情報(パラテクスト)を元に、ある程度本の内容をわかっている(もしくは予想している)。
人は、知っていることやわかっていることが書かれている本を読み、自分の知識や考え方が合っていることを確認して安心するところがある。
物語であっても、人の成長物語や恋愛成就物語など、最初から結末がわかっているにもかかわらず読んで納得する。
ダメな主人公が努力して成功する、ひたむきな愛が相手に届き成就するなど。
これがいわゆる「過去形の読書」、今の自分を肯定するために読む読み方だ。これまでの自分の知識や世界への理解が正しいということを確認している。
(ちなみに石原さんはこの読み方がダメだと言っているわけではない。)

つぎに「未来形」。

わからないことが書いてある本を読むということは、読み終わった時には自分はそれをわかっている人になっているはずだ。わからなかったことがわかるようになっている、そういう知的な成長を期待もって読むのが「未来形の読書」である。
そして、その本を読もうと思って手に取って選んだ、ということは、その読書には自分が、そういうことをわかっている人物になりたいという、期待する自分の未来像が反映されていることになる。
ここに自分のアイデンティティの問題が浮上する。

ここにイーザーの空所理論が挿入される。人は本の内容をそのまま理解して自分の取り入れるわけではなく、解釈の余地(空所)がさまざまにある本を前にして、自分なりの解釈を施しながら読み進め理解する。

自分がどんな人間になりたいのか、という思いが読書内容(理解、解釈)に投影されるというのである。石原さんの言う「本は読者の鏡である」ということだ。

そしてこの過去形と未来形の読書術について、ヤウスの「期待の地平」理論が持ち出される。

自分が知っているとおりだった(過去形の読書)というのは、地平の変更の幅が小さい=大衆的な受容であり、一方で、未来形の読書は、自分が知らない知識を得、知らない世界を見ることができるという意味で驚きがある、つまり地平の変更の幅が大きい=美学的な受容だ、ということである。

ヤウスの理論がそうであるように、石原さんの言う、過去形の読書と未来形の読書の間にも優劣があるというわけではない。どちらもそれぞれ効用がある。

だが、やはりタイトルが「未来形の読書術」とあるように、石原さんが強調するのは未来形の方である。
数ある本の中からその本を取り出し、読み始め、そして何らかの理解を得るという行為は、自分のアイデンティティと深くつながった行いなのだ。
読書の中には、自分はなにもので、これからなにものになるのか、なりたいのか、なろうとしているのか、という問いが自然に投影される。

自分が知らない知識世界を得ようという未来形の読書をする人は、自分がどうありたいかという問題に向き合っている人なのだといえる。

石原さんは知識欲を持っている状態を(年齢問わず)精神的に「若い」という。逆に例え実年齢が若くても知識欲や好奇心がない状態を「精神的老人」という。

未来形の読書を通して精神的な若さを保つこと、そして、決して精神的老人になってはいけない。これも石原さんのメッセージの一つだろう。

だいぶ自分の理解、解釈を交えた要約ではあるが、「未来形の読書」は以上のようなことを述べている。一般的な読書論とは異なるのがわかる。

そして、私も、石原さんのこの本を手に取ったのは、読書とは何か、その効用を自分も知りたいし、学生にも伝えたいという未来の姿があるからだ。
それを自分の教師としての使命と自ら任じているから読んだのでもある。
自分の教師としてのアイデンティティにつながっている。そのようなアイデンティティへの意識がなければ、この本を自分から手にし読むこともなかっただろう。

本棚を眺め、これまで自分が読んできた本(あるいは積読状態で読んでいないものも含め)は、自分自身の未来形なのだと気づく。
これらの本にある知識や世界を知った自分でありたい、という自我が本棚には反映されている。

だから人に本棚を見られるのは、少し気恥ずかしいのだろう。
そして一方で、少し誰かに見せたい気持ちも確かにあるのだろう。

 

学生指導について〜課題を「発見」する

学生の指導は純粋に面白い。

以前も卒論指導についてそのような記事を書いたことがありますが、今日はその続編。

t-kajiya.hatenablog.com

 

学生のテーマを聞きながらいつも気にしていることがある。

それは課題を「発見」できているかどうか?

研究なのだから「課題」がなければ始まらないだろう、と思われるかもしれないが、ここでいう「課題」は少し一般的な意味と違う。

 

どういうことか、ちょっと考えを深めてみたい。

今は、「実学」とうたって、社会の要請に応える研究というのが推奨される時代。

要は「世の中の何の役に立つのか」という問いに答えられる研究をすべし、という風潮がある。

世の中の役に立つ研究は素晴らしいものだし、これを否定するつもりは全くない。むしろ役に立つことをやってほしい、と思う。

ただ、この問いに答えるために何か研究の大事なことを疎かにしていないか、ということがとても気になっている。

 

たとえば、「地域の過疎化」はよく学生が取り上げるテーマだ。
有効な解決策を提案できれば地域社会のから喜ばれるだろうし、実行不可能な提案であっても、研究を通じた考察はその学生の将来の糧となる。

この場合、ある地域の過疎化という現実があり、それに対する解決策を検討するための研究、という流れになりがちだ。

課題→研究(解決策)

真っ当な考え方で問題はない。

 

ところで、現代の大学生(最近は小学生でも、中学生でも)が身につけるべき能力として、「課題解決・課題発見能力」がうたわれている。

これらはセットで語られてしまっているが、能力としては全く別のものだ。

社会に出れば、それぞれの所属組織の中で課題山積で、上司の指示に従ってそれに向き合うことになることが多いだろう。課題はすでに与えられている。「年間売上を伸ばせ」「地域振興策を検討せよ」「新商品を開発せよ」「待機児童を減らせ」「働き方を改善せよ」などなど。

先ほどの「地域の過疎化」もすでに日本中どこにでもある、いわば「発見済み」の課題、与えられている課題。

社会に出ればだれでも「発見済み」の課題の「解決」に取り組むことになる。

 

一方で「課題発見」の方はどうだろうか? 

誰も気づいていない社会課題を発見するというと大変そうだが、すでに「発見済み」の課題であっても、さらに深掘りしていけば、未発見の側面は多くある。

過疎化を問題にするにしても、そもそも「過疎」とはどのような状態だろうか。Googleに聞けば「急激な人口減少によって生活基盤が維持できなくなり〜」という月並みな回答は得られるが、ではどれほどの人口が保たれれば、どのようなインフラが維持できるのだろうか。

あるいは高度経済成長期はむしろ「過密」が問題視されていたわけで、人が大勢集まることで発生する問題も数多くある。ではどれくらいのバランスが適当なのだろうか。
それは誰にとって、どの地域にとって、どのような属性の人にとって…。と考えていくと、過疎化を問題化するということはどういうことなのか、ということまで考え込んでしまう。

 

この問題に新しい課題意識から取り組み成功を収めている自治体が北海道にある。

東川町である。

東川町は過疎、過密という課題意識から離れ、「適疎」という概念を生み出し、自分たちなりの課題として設定した。

「自分たち町民にとって最も居心地のいい状態(人口や産業経済、インフラ、サービス)とはどのような状態か」という問いを持ち、結果として必要以上に人口を増やさない、減らさない「適疎」という価値観を町民で共有することにしたのだ。

 

higashikawa-town.jp

 

何度か東川町に話を聞きに行ったことがある。町長も気さくに応じてくれるフットワークの軽さが魅力の町だ。

この町は今や全国各地、世界各地から移住希望者がいる。町も移住者を歓迎しているが、毎年数十人から数百人の人口増でむしろ抑えるようにしているという。

急激な人口増は社会構造の変化を伴うし、それに対応する地域の負担も大きい。

また町では自分たちらしい暮らしを維持するためには人口1万人を超えない程度が適当であると考え、移住希望者は順番待ちの状態であっても、そこは曲げない。

 

この発想ができたのは、課題解決一辺倒ではなく、課題発見の意識があったからだと思う。「過疎」という与えられた課題だけではなく、その背後にある、あるいは別角度にある課題(つまり「東川町民にとっての豊かな暮らしとは何か?」という課題)の発見があったからこそ、他の自治体とは異なる解決策を見出すことができたのである。

 

この視点を第一に持つべきなのは研究者である。

そして、この研究者には学生も含めたい。学生は4年間とはいえ、実務から離れたところで研究活動をする期間が与えられている。

人間は社会で生きていけば、つねに「課題」が突きつけられ、日々その解決に迫られる。ある意味それが「仕事」だとも言える。

だから、現実社会から一歩引いた立場から課題に向き合える学生には、「解決」だけではなく、その問題解決の前の、問題発見の力を身につけてもらいたいと思うである。

課題→研究(解決策)

という流れを先に示したが、学生が研究テーマを考える上では、

発見→課題→研究(解決策)

というところまで踏み込んで考えてもらいたい。

「発見」こそ研究の醍醐味である。
むしろ「解決策」はなくてもよい。その検討は実際に現場で実務に当たっている人々の方が長けている。

私がおそろかになっていないかと気にかけているのはこの「発見」である。

「地域や時代の要請に応える」ことが求められる時代だが、「要請に応える」とは個別具体的な解決策を示すだけにとどまらないものだ。

 

瀬戸紀行(1)

民藝を研究してきたのに、瀬戸にはなぜかこれまで縁がなかった。

学会があって名古屋に行くことがあっても、瀬戸まで足を伸ばすという機会はなかった。
中部国際空港の開港によってなおさらそういう土地柄になった。

この3月、間暇を得て、昨年開館した瀬戸民藝館・くらしのミュージアムを訪問した。

新千歳空港から中部国際空港まで移動し、その足で瀬戸民藝館に直行した。今回の第一の目的は瀬戸民藝館を開設した水野雄介氏に直接お話しを伺うことだった。

こういうきっかけがなければ今後もまだ瀬戸を訪れる機会は先延ばしになっていたかと思う。

中部国際空港から瀬戸まで乗り継ぎを経てさらに相当時間がかかる。
常滑が空港に隣接していることとの格差を感じる。12時すぎに空港着であったが、名鉄→地下鉄→名鉄と乗り継ぎ、尾張瀬戸駅からタクシーで民藝館に到着したのは約束の午後3時ちょうどであった。

民藝館に到着すると、水野さんが笑顔で待っていてくださった。
本州では常に遠方からの客となる北海道人には、笑顔が何よりのもてなしである。
数時間の移動中に考えてきたいろいろな事柄が解きほぐされる一瞬でもある。

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

水野さんからは、民藝館1階の展示の説明を受けながら、瀬戸の焼きもの作りの歴史、瀬戸と民藝の関係、瀬戸における水野さんの窯(本業窯)の立ち位置、先々代の第6代水野半次郎さんの業績と柳宗悦の関係、などなど、多くの有益なお話を伺った。

瀬戸にとって焼き物は、地域の歴史文化であると同時に、地域経済を支える重要な地場産業である。地域全体を覆う経済システムが確立しており、それが民藝と縁遠いイメージを与えるのかもしれない。民藝といえばそういう近代的な資本主義経済から取り残された小規模生産のイメージが強い。

お邪魔した本業窯も地域とのつながりを持ち、そのシステムの一部ではある。
であるが、本業窯は独自に瀬戸の焼き物文化の伝統を今に伝えている。民藝館を開設したのも、そういった活動の一環だという。

瀬戸民藝館2階

瀬戸民藝館2階

 

本業窯の見どころの一つは巨大な連房式登窯。数十年前まで実際に火を入れて使用していた。その動画も拝見したが、大変な迫力である。

焚き口が3つあるのもすごい。焼成室は4室あるが、以前は10室の登窯も使用していたという。焼成室一部屋一部屋もかなり広い。

民藝の里にある登窯の規模とは大きな違いだ。通常焚き口は1つだし、房一つ一つも人が腰をかがめて入るような大きさが一般的。

窯の中も案内していただいた。大人が立ったまま自由に歩ける高さも広さもある。

本業窯登窯

本業窯登窯

登窯内部


長年使いこまれた焼成室の壁を眺めながら、水野さんの解説が面白い。

瀬戸は言わずと知れた六古窯の一つ。長い歴史伝統の中でさまざまな技法、デザインが生み出されてきた。黄瀬戸、瀬戸黒、織部、志野、染付、刷毛目、掻き落とし…。陶器も磁器も生産している。日本に存在する焼き物の技法は全て瀬戸にはあるのではないか。民衆的な日用品も多いが、茶の湯とのつながりも深く、民藝と芸術工芸が混在する。

このなんでもありの多彩さは、逆に瀬戸の特徴のわかりづらさにも繋がっているかもしれないとも感じていたが、水野さんのお話を聞いていると、それぞれの技法に背景があり、一つ一つが大切な瀬戸の特徴なのだとわかる。

例えば、黄瀬戸とは木灰釉を酸化焼成した結果、油揚げのような独特の黄を発色するが、もともとは青磁のような青を求めて試行錯誤した結果でもあるという。高温で還元焼成すれば青みがかった色になるが、そこまで温度が上がらず酸化焼成となれば黄色になる。そういう試行錯誤の歴史が黄瀬戸という伝統につながっている。

水野さんに焼成室の壁を見るように促される。壁は一面、青みがかって輝いていた。

登窯の壁面

焼成時に投げ込まれる松材が高温で燃える過程で灰が自然に釉薬となり瀬戸が求めていた青を発色しているのだという。窯内部が釉薬に覆われているのだ。

瀬戸はこの青を求めた。しかし生み出されたものは美しい黄だった、ということ。

やきものの奥深さを物語っている。

【読書会入門】読書に集中する

課題本を読み進めようとしてもなかなか集中できない…
少し読み進むとわからない言葉が出てきてスマホで調べ、そのまま他のサイトを見たり、アプリをいじってしまったり…
読んではいるけど、いろいろ他に気になることがあって、字面を追っているだけで気づくと内容が頭に入っていなかったり…


こういう経験は誰でも多かれ少なかれあると思う。

でも、読書をするからには、本の世界に夢中になって周りが見えなくなるような“フロー状態”になりたいもの。

スポーツの世界では「ゾーンに入る」とも言われ、この極限的な集中状態では、通常以上の力を発揮できる。一流選手はその状態に意図的に入ることができる。

自分が普段から読んでいる好きな作家作家や、面白いと評判の話題本であればいつでもどこでも夢中になって読めるだろうけれども、読書会の課題本は、それとは逆に自分に馴染みがなく、また一人ではなかなか読み通せそうもない本であることが多い故に、フローに入るための努力や工夫が必要となってくる。

読書会に参加するための一つのハードルだ。

 

私もそういつも集中して読書できているわけでもないけれども、”ここは集中して本を読もう”と思う時に使う簡単なテクニックがある。

簡単なことで、ポイントは2つ。

 

  読書環境を整える

 ② 読む時間、または読む範囲を限定する

 

まず机に向かう。
机の上からすべてのものを視界に入らないところに移動し、極力まっさらに。
音楽は止めて、ネットともつながらない。スマホもいじらないように遠くに置く。
読書中に読むドリンク(コーヒーでも紅茶でも)を用意する。

ここまでが①の段階。

机にまっさらにするのは、映画館で映画を観るのに似ている。映画館で映画に集中できないという人はなかなかいない。それは映画を見る以外何もできない状況に強制的に置かれてしまっているから。スクリーン以外は真っ暗で、スマホを操作することもゆるされない。そういう環境になると人は集中する。

寝転がって読むこともあるが、それはやはり趣味の本の場合であって、読書会用にある程度しっかり読み込もうと思えば、机に向かうのがベストである。

ドリンクを用意するのは、ふと「あ、コーヒー飲みたいな」とか「コーヒー用意していなかったな」ということを言い訳に読書を中断してしまうから。

完全に今から読書に没頭するという体制づくりをしっかりやることが重要だ。

 

次に、②の読む時間か範囲を決める。

時間や範囲を決めないというのは実はとても辛いことだ。
例えば部活動でランニングをせよと顧問の先生から指示されたとして、グラインド何周か示されずに走ることは本当に辛い。逆にグランド5周して終了!と言ってもらえると、その5週はなんとか走りきれるものだろう。
読書も同じで、先が見えるとそこまでは集中して読み通せる、というところがある。

私の場合は時間を決めることが多い。

ポモドーロ・テクニック(以後PTと省略しておきます)をご存知だろうか。イタリアのフランチェスコ・シリロという方が考案した時間管理術である。

 

簡単に要約すると、タイマーを25分にセットして、その時間はタスク(作業)に集中する。5分休憩して、同じことを繰り返す、というもの。

25分であれば集中できるだろう。(これが難しければ15分からでも初めて少しづつ延ばしていくと良い)PT中は他の仕事のことは忘れる、メールも見ない、スマホもいじらない、と決めて取り組む。1セット30分に集中できれば、そのあとはリズム良く進む。25分のアラームがなると、もう少し読みたかった、と感じ、次のセットも始められる。やろうと思えば仕事が忙しい日でも数セットやれてしまうものだ。ぜひやってみてほしい。

 

読む範囲を決めるというのも有効だ。

私の場合はだいたい1分で1ページ程度読み進める。(これはページの組み方にもよるし、文章の難易度にもよるが)

一度ストップウォッチで自分の読書スピードを計ってみることをおすすめする。自分の読書スピードはぜひ把握しておくと良い。

先のPTでは25分間の集中時間だったが、そうすると25ページほど読みすすめることができることになる。

PTをやってみると自分が一日でどれくらいの読書時間を確保できるか、あるいはどれくらいの集中力を読書に割けるかということがわかる。

自分の読書スピードがわかっていると、決めた範囲を読み終えるのに必要な時間が見えてくるので、これもある意味では読む時間を決めているのと同じとも言えるだろう。

時間で区切ると、読んでいる途中で打ち切られてしまうが、範囲で区切るとキリの良いところで終了できる。
私は時間で区切ることが多いのだが、それは途中で打ち切られてしまうと、その次を読み進めたくて、自然とつぎのPTにつながっていく、という効果も考えてのこと。範囲で区切ると、ちょうどキリが良いので、そのままその日はそこで終了ということになりがちなので。自分の性分に合わせてどちらを選んでも良いが、その間だけはとにかく集中すると決めて読むと読書が捗る。

ちなみに、量や時間をこなすことに熱中して、内容の理解がおろそかになっては意味がない。あくまでも内容を理解できるスピードで、自分の集中力の続く時間を考えて読みすすめることが重要だ。

 

ただこのような方法だといかにもルーチーン的、作業的な読書のような感じがするかもしれない。
確かにその通りで、最終目的は何時間集中して作業するかではなく、フローの状態で夢中で本を読み進めらるかどうか。
どんな本でもフロー状態になれる人は良いが、なかなか全ての本でそうはいかないのが現実。その場合は、上の方法でなんとか集中して読み進めていると、そのうちフロー状態になる。そうなったら、もうタイマーを止めて、そのまま集中力が続く限り読み進めるとよい。

 

 

 

卒論指導という難問

大変久しぶりにブログを書いています。

大学では通常授業とは別に常時卒論指導も担当しています。長期休暇であっても定期的に学生とは連絡を取り合って対面・zoomで指導しますので、通常授業よりある意味時間も労力も費やします。テーマが面白いと、学生の話をききながらも、自分も一緒になって勉強したりして、なかなか充実した時間でもあります。

 

ちなみに、私の研究室は「文化社会学」という領域で卒論を進めています。私自身は「文学研究」からスタートし「文化研究」→「文化社会学」という形で自分の専門領域を拡大してきました。

こう書くと発展的に研究を進めてきたように見えるかもしれませんが、私が学生だったときの「文学研究」はすでに、「文化学」も「文化社会学」も内包するような大きな研究領域だったと思います。ですから、実質的にはやっていることは変わってはいない、というのが実感です。(勤務先での担当分野が「社会学」であったという事情もありますが)

 

さて、卒論指導の話に戻します。

どんな研究でも通常最初に「問いを立てる」という作業を重視することでしょう。

自分は何をどのように問題とするのか、という「問い」をしっかり考えて研究の中心にすえるということです。

学生はこの「問い」(リサーチクエスチョン)を検討する時に大抵はつまづき、とても悩みます。が、それはじつに健全です。

逆につまづかずに、すぐに「できました!」とサクッと持ってくるものは、大抵は浅い問いです。そういう「問い」でスタートした研究は、やはり途中で行き詰まってしまうものです。

「問い」は論文を書きながらも常に考え続けるもの。これを「問いを鍛える」といいます。

(研究者であれば、むしろ論文を書き終えた時には、より深い問いを見出していて、結論の不十分さに後ろめたさを感じながら投稿する、ということもよくあることです)

 

ところで、この「問いを立てよ」という課題を学生に出す前にいつも悩むのは、学術的な理論や方法論をどこまで指導するか、ということです。

社会を見回せばあちこちに「問い」のネタとなるものはありますが、つまり「対象」はみつかりますが、それだけでは「問い」は発せられません。「問い」を発するということは、発する人間である自分自身の立ち位置を自覚するということでもあります。

この場合の立ち位置とは学術的・理論的な枠組み(フレームワーク)と言えます。

文化社会学の場合は、結構込み入ります。
ある文化的事象を扱うのに、文化の内実に焦点をしぼって事象の意味や解釈を追究するのか、あるいは社会的事象の一つとして外部から対象となる文化事情を検討するのか。対象とする事象をどのようにカテゴライズして検討するのか。ミクロな視点で検討するのか、マクロな視点を意識するのか。経済的な側面、社会システム的な側面、テクスト分析的な側面etc.。

文化をどの観点から切り取って分析対象とするのか、ということは学術の世界では常に検討が繰り返され、新しい理論、分析の観点、手法が次々の提示されています。私自身にはある程度決まった方法論があり、それで研究を進めていますが、それさえ理解していれば良いということではなく、他の方法論にも目配せして自分の方法が妥当であるか、ということには自覚的でなければなりません。

この学術的な考察の枠組み(フレームワーク)を意識しなければ、本来「問い」は立てられないのではないかと思います。「問い」がなければ、そして自分の立ち位置に自覚的でなければ、一生懸命作業はしても興味関心のあることについて「調べてみた」というレベルで終わってしまいます。

学生はとりあえず卒論完成させたと安堵するとは思いますが、自分が何をなし終えたのかもあまり理解できず不完全燃焼感は残ることでしょう。

 

特に文化研究で扱うテーマは、現実社会では喫緊の課題ではないものが多いので、考察の枠組みがしっかりしていなければ、効用感や達成感が低いのが現実です。

たとえば貧困などの社会問題を扱えば、多少ピントがぼやけていても社会的な意義は感じられるでしょうけれども、文学作品を分析するなどの場合であれば自分なりに新たな知見を示せたというような手応えがなければ、意義も感じづらいものです。つまり、「趣味」のように見られてしまいます。

ちなみに、学部生向け卒論教科書の多くは、段取りや調査の手法、論文の構成、論文執筆のルール等の実務的な解説はあっても、この「問い」の立て方に関する有効な指導はあまり見受けられません。問いの立て方に踏み込むとすれば、プロの研究者向けの研究指南系の本まで進まないと、みられないような気がします。

 

そういうことで、(学生からは敬遠されがちな)理論の勉強をしてもらいたい、考察の枠組みにも関心を持ってもらいたいという思いはあります。が、これから研究者を目指すわけでもない学部生に、どこまで学ばせるかという難問が待ち受けます。ただでも文化研究の理論は、捉えどころが難しく、説明する本も難解なものが多く、、、それらを大学4年間で学んで理解することはなかなか難しい。

であれば、どうすればよいのか。

答えの一つとしては、難しいことを言わずに、指導する教師の得意とする枠組みに学生の「問い」を押し込んで、ひたすら作業をさせるという方法も考えられます。こちらから何をしらべ、どういうふうに考えるかを指導していけば、作業としては進みます。学生も知識理解の面での負担は少なく、興味を持ったことに集中できそうです。(教員によっては学生の興味関係なしに、テーマを与え作業をさせるという修行的指導法もあります。)

が、自分としては卒論くらい学生が自分で考えた「問い」で自由に挑戦してほしいとも思います。研究の面白さは、ある意味「問い」を自分で考え出すこと自体にあるからです。

サッカーで例えるならば、監督から動きを一つ一つ指示され、それに従って将棋の駒のようにプレイするのと、作戦や戦術から、もっといえばトレーニング法の時点から、自分でチームの勝利に貢献する方法をさぐりながら試合に臨むのとどちらがよいか? 

たとえば、理工系学部の実験室タイプのゼミであれば教授のテーマにしたがって作業員として行動するのも一つの方法なのかもしれませんが、文化研究でそのようは手法を使っても、おそらく面白いことを生み出すことはできないでしょう。基礎調査的な部分では作業も行いますが、最終的には自分だけの観点や価値観を示すという個人の精神的な営みが文化研究だからです。

つまり、先ほどの例でいえば、文化研究においては将棋の駒のように指示されて作業をしても何も生み出されないのです。

学部学生が学術的な理論枠組みを学んでもらうことは難しいし、忌避される傾向にもあるけれども、それを学ばずに”楽しい”文化研究をすることも難しい。

いつも頭を抱えている難問です。

日常を持ち出すーポータブルな日常について

学生の卒業研究指導をしていると、様々な思わぬヒントが得られる。

学生本人よりも教師の方が得ることの多い指導回もあるかもしれない。それはもちろん本意ではないんだけど。

 

先日、外国人訪日観光客は日本の何に惹かれて来るのか、ということをテーマに学生と話をした。単純に考えれば日本ならではの文化や歴史、景観、食といったものが目的だろう。サブカルチャーも人気だ。自国には無い、本場日本を体験したいという「非日常」を求めている、というのが典型的な答えになるのかもしれない。

ただ、こんな結論では残念ながらわざわざ研究する必要はない。もっと深く考えないと、と指導をしていくわけだけれども、指導しながら学生の思いから離れて自分自身のアイディアが広がっていく、ということはよくあることだ。

 

私自身の考えを少し述べよう。私はかねがね海外旅行には「非日常」ではなくむしろ「日常」を求めているのではないかと考えていた。もう少しきちんというと、「非日常」を求めているんだけど、その求めている「非日常」とは自国にないものなのではなく、自国にもあるような「日常」なのではないか、ということである。

私自身旅行は大好きで若い頃から海外も多少は旅している。学生時代などは確かに非-日本的な非日常を求めていた。見たことのない景色、街、風景、食べたことのない食などなど。自分の認識をガラッと変えてくれる体験を期待していたと思う。

ただ今はその感覚はもう殆どないかもしれない。
十分に観光地の予習をして、現地では日常を忘れ、日本とは別の世界を存分に味わうもの、という海外旅行の発想は自分の中では10年以上前のものだ。

その後私も家庭を持ち、家族での海外旅行も何度かしている。だが、自分も家族たちも、結局現地に行っても行動パターンは普段と大きく変わらない。

私も家族も、滞在先ではあまり熱心に観光地を見て回ることなどせずに(もちろんせっかくだから行くことは行くけど)、むしろ朝起きてから普段の休日のような「生活」を楽しんでいる。
宿もホテルではなく貸別荘やコンドミニアムで数日滞在することも多いから、食事も洗濯も自分たちでやる。ゴミの分別までやって、ゴミの日に出しに行く。

そこでふと思うのだが、その生活スタイルは結局はネットやスマホによっている。
スマホがあるから日常が継続されている。友達とのLINE、熱心にやり続けているゲームアプリ。仕事のメールにも普通に対応している。その日のランチは、その日になってからおもむろにネットで検索して、近くにある良さげなお店を探して行ってみたりするし、雨が降っていたり疲れていたりしたら、外出せず部屋でゴロゴロしながらyoutubeなんかを見ている。場合によってはちょっとした仕事もしている。夕方に晩ごはんのために近所のスーパーに食材を買いに行く。3〜4日も田舎に滞在していると、現地の人とちょっとしたコミュニケーションが生まれたりもする。

せっかく休暇をとって海外まできて、それでつまらなくないのか?全くそんなことはない。
結局、自分は日常の生活を海外に持ち出すことが楽しいのだと思う。「日常を持ち出す」、この日常をポータブルに楽しむことが私(たち家族)が求めている「非日常」ということ。こういうことになるのではないだろうか。

 

私が好きなエッセイストにphaさんという方がいるが、著書のなかに『どこでもいいからどこかへ行きたい』という本がある。

phaさんは、時々生活が煮詰まると、ふらっと夜行バスなんかに乗って、目的もなく別の町に行き、数日滞在するのだそうだ。何でもない安宿に泊まり、そこでやっぱりスマホをいじったり、街をぶらぶら散歩したり、サウナに入ったりと、日常的な行動をとる。そういう旅(と言っていいものか…)を時折挟み込むことで、日常を維持しているという。この日常を持ち出している(持ち歩いている、という感じかも)感覚は本当に共感できる。

今の我々の日常とはすでにwifiだ。そして、wifiがあるところでは日常が延長されている。
私の世代にとって、以前はケータイがつながるかつながらないかが、一つの日常/非日常が分かれる境界線だったと思う。つながらないところにいるときは、仕事からも日常的な人間関係からも切り離された。そうやってときどき日常に区切りをつけていたのである。

でも今は殆どの国に行こうが大抵は日常につながっている。
人にはハレとケのメリハリが必要なのかもしれないが、wifiに覆われている今の世界では空間的に移動したくらいでは、ケが常につきまとって離れることはない。

いや、むしろ海外であっても熱心にスマホをいじっているところからわかるとおり、人は日常から切り離されることをもはや望んではいない。(切り離されることを恐れているとすら言えるかもしれない。)

またここまで考えてみたら、逆に非日常とは何かを改めて問い直しても良いと思う。

たとえば、現代人にとっての非日常とは、今住んでいるこの街にあっても、災害などによって通信が途絶えた時に本当に実感する種類のものなのかもしれない。

以前、胆振東部地震で北海道全域がブラックアウトしたことがあった。皆食料などの他にスマホのバッテリーを確保することに一生懸命になっていたのを覚えている。空間的な距離は非日常は生まない。wifiとの距離が非日常を生む。案外それが現代の感覚かもしれない。

 

卒研指導では、こんなことも少し考えながらお話をした。大半は彼の話をした後、私の中で膨らみ上がってきたアイディアだが、話しながらいろいろなニュアンスで伝えたつもりである。

ただ、考えるのは学生本人の仕事だ。それに私のアイディアが発展性があるのかどうかもわからない。これをヒントとしてもしなくても、しっかり考えてもらうしかない。

学生には存分に考えてほしい。でも、教員も一方でいろいろ考えていたりする。

余市とフットパスのことなど

4月9日(土)は余市町におじゃましてきました。

今、余市町の方とともに、フットパスコースの検討をしようという計画が持ち上がっています。その事前打ち合わせと下見を兼ねての訪町です。

フットパスとは「歩くことを楽しむための道」のことです。日本国内でも、フットパスの設定や整備の取り組みは数多くあります。だいたい数キロから十数キロ程度のルートを示し、地域を歩く方のガイドとしています。

地元の方も旅行者も、フットパスをガイドに歩くことで町の様子や風景、歴史文化を楽しむことができるわけです。

ところで、歩くだけなら自由に歩けばいいのでは?と思う人もいるはず。
確かにそうです。

が、実際、旅先などで街を適当に歩いてみると、道というのはそんなにどこも快適に作られているわけではないと気づきます。映える風景もそうそう都合よく現れてくれるわけでもありません。
近所をお散歩しようとしても、楽しく歩ける道はどれほどあるでしょうか。

一般人が通行できない道もあれば、歩道が整備されておらず危険な道もあります。
あまり見た目も良くなく、車が激しく行き交う道もあって、楽しむどころか気疲れしてしまう道もあるでしょう。
また、車道はスマホの地図アプリで知ることができます。でも、人しか歩けないような小径まではなかなかわかりません。そしてそういう小径にこそその地域ならではの光景が広がっていたり、自然に触れる場所があったり、ちょっとした地域の方との交流があったり、そういう体験ができるものです。

楽しく歩くためには、ちょっとしたガイドや整備が必要なのだと思います。

このフットパスは、イギリスが発祥と言われます。
私も10年ほど前からご縁を頂いてフットパスという文化に惹かれ、いくつかのコースを歩いて来ました。
本場イギリスに行ったときにも湖水地方コッツウォルズを歩いたことがあります。
(かといってヘビーウォーカーではありません。気が向いたら歩くといった程度です。出張先で歩きやすそうなコースがあれば、ふらりと歩くこともあります。この敷居の低さもフットパスの魅力です。)

イギリスで感じたのは、フットパスを大切に管理して守ろうとする地元の方々と、フットパス・ウォーキングを楽しむ人々の多さと意識の高さです。
コースはきれいに整備され、案内板やマップも充実しています。沿道の方は概ねウォーカーを歓迎するマインドの持ち主が多いと感じました。普通の住人の方だと思われますが、そういう方から何気なく「Hi!」「Hello」という声をかけられます。また地域の方もよく歩くようです。生活に根付いていることがわかります。

イギリスで体験したフットパスの写真をいくつか紹介しましょう。
(ちらちら登場するのは私の家族です。小さなこどもでも、簡単な装備でも、いつでも気軽に楽しめるのがフットパスです。登山やトレッキングのような気合はいりません)

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イギリス湖水地方のグラスミア・フットパス 牧場の中でも自由に通行可能です。

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フットパスの道標 walkers welcomeの文字が見えます。こういう一言があると気持ちよく歩けます。

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グラスミア湖周回コース。湖とマナーハウスがとてもよく似合います。

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途中にはワーズワースのお墓も。文学にも触れます。

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場所は変わって、コッツウォルズのバイブリー村。世界一美しい村として有名です。

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バイブリーにも気持ちのいいフットパスがあります。

 

 

イギリスだからこんな綺麗でおしゃれな風景が広がっている、というわけではありません。イギリスでも見栄えのしない場所はあります。道が悪いところ、歩道のせまいところもあります。街中のスプレーの落書きは本当に目障りです。

ですので、こういうきれいで落ち着いた道があるのは、長い年月をかけて地域の人々が地域を愛し、歩きやすい道を整備し、きれいな景観を守り育んできた結果なのでしょう。

また、歩く側の人々もルールやマナーを守り、その地域の歴史文化や食、産物を尊重し、景観を楽しむというマインドがあります。先程も書きましたが、行く先々では地元の人もウォーカーたちも気軽に挨拶や会話を交わす習慣があります。

私から見てフットパスの最大の魅力は、フットパスを基点にそこに集う人々が、この「マインド」を共有することなのではないかと思っています。

よその土地に行ったときに、「walkers  welcome! 私たちが守ってきた道を楽しんで!」というメッセージが感じられた時、歩くことは最高に楽しいものになります。

・清掃や整備の行き届いた道。ウォーカーのために工夫された景観。
・歩いている人に気軽に「Hello!」と挨拶をする開放的な雰囲気。
・案内板に見られる地域外の人が困らないための配慮。

良いフットパスとは、インスタ映えする自然や景観、建築物があることによるものでは決してなくて、地域全体で醸すWelcomeでフレンドリーな雰囲気によるものであるように思います。

歩いていると地域の方々に感謝の気持ちと親近感が湧き上がってきて、思わず挨拶を交わしてしまいます。その地域が好きになり、半日でもその地域に溶け込みたいという気持ちになります。これがイギリスはじめ、これまでのフットパス経験から得た私の考えるフットパスの魅力です。

この度、北海道のエコ・ネットワーク様および余市町の方から、この余市フットパス・プロジェクトに私の大学のゼミ生にも加わりませんかというお誘いをいただき、喜んでお引き受けしました。町外の学生たちにもこの体験を通して、フットパスの魅力を知ってもらいたいし、こういう人間味のある地域活性化を肌で感じてもらいたいと思うからです。

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余市町沢エリアから余市港方面を望む

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ワイン葡萄畑。夏には緑に覆われるはず。

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旧下ヨイチ運上家 余市には歴史的建造物も多く残される

春早い余市町はまだ緑もなく少しそっけない風景です。でも夏になれば緑に覆われてきれいな風景が広がるはず。それ以上に、地域のWelcomeマインドが加われば、海山川丘果樹園食酒となんでも揃っている余市は最高のフットパスエリアになるはず。

これからどんな展開になるのか、楽しみです。