KAJIYA BLOG

人文系大学教員の読書・民藝・エッセイブログ

瀬戸紀行(1)

民藝を研究してきたのに、瀬戸にはなぜかこれまで縁がなかった。

学会があって名古屋に行くことがあっても、瀬戸まで足を伸ばすという機会はなかった。
中部国際空港の開港によってなおさらそういう土地柄になった。

この3月、間暇を得て、昨年開館した瀬戸民藝館・くらしのミュージアムを訪問した。

新千歳空港から中部国際空港まで移動し、その足で瀬戸民藝館に直行した。今回の第一の目的は瀬戸民藝館を開設した水野雄介氏に直接お話しを伺うことだった。

こういうきっかけがなければ今後もまだ瀬戸を訪れる機会は先延ばしになっていたかと思う。

中部国際空港から瀬戸まで乗り継ぎを経てさらに相当時間がかかる。
常滑が空港に隣接していることとの格差を感じる。12時すぎに空港着であったが、名鉄→地下鉄→名鉄と乗り継ぎ、尾張瀬戸駅からタクシーで民藝館に到着したのは約束の午後3時ちょうどであった。

民藝館に到着すると、水野さんが笑顔で待っていてくださった。
本州では常に遠方からの客となる北海道人には、笑顔が何よりのもてなしである。
数時間の移動中に考えてきたいろいろな事柄が解きほぐされる一瞬でもある。

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム

水野さんからは、民藝館1階の展示の説明を受けながら、瀬戸の焼きもの作りの歴史、瀬戸と民藝の関係、瀬戸における水野さんの窯(本業窯)の立ち位置、先々代の第6代水野半次郎さんの業績と柳宗悦の関係、などなど、多くの有益なお話を伺った。

瀬戸にとって焼き物は、地域の歴史文化であると同時に、地域経済を支える重要な地場産業である。地域全体を覆う経済システムが確立しており、それが民藝と縁遠いイメージを与えるのかもしれない。民藝といえばそういう近代的な資本主義経済から取り残された小規模生産のイメージが強い。

お邪魔した本業窯も地域とのつながりを持ち、そのシステムの一部ではある。
であるが、本業窯は独自に瀬戸の焼き物文化の伝統を今に伝えている。民藝館を開設したのも、そういった活動の一環だという。

瀬戸民藝館2階

瀬戸民藝館2階

 

本業窯の見どころの一つは巨大な連房式登窯。数十年前まで実際に火を入れて使用していた。その動画も拝見したが、大変な迫力である。

焚き口が3つあるのもすごい。焼成室は4室あるが、以前は10室の登窯も使用していたという。焼成室一部屋一部屋もかなり広い。

民藝の里にある登窯の規模とは大きな違いだ。通常焚き口は1つだし、房一つ一つも人が腰をかがめて入るような大きさが一般的。

窯の中も案内していただいた。大人が立ったまま自由に歩ける高さも広さもある。

本業窯登窯

本業窯登窯

登窯内部


長年使いこまれた焼成室の壁を眺めながら、水野さんの解説が面白い。

瀬戸は言わずと知れた六古窯の一つ。長い歴史伝統の中でさまざまな技法、デザインが生み出されてきた。黄瀬戸、瀬戸黒、織部、志野、染付、刷毛目、掻き落とし…。陶器も磁器も生産している。日本に存在する焼き物の技法は全て瀬戸にはあるのではないか。民衆的な日用品も多いが、茶の湯とのつながりも深く、民藝と芸術工芸が混在する。

このなんでもありの多彩さは、逆に瀬戸の特徴のわかりづらさにも繋がっているかもしれないとも感じていたが、水野さんのお話を聞いていると、それぞれの技法に背景があり、一つ一つが大切な瀬戸の特徴なのだとわかる。

例えば、黄瀬戸とは木灰釉を酸化焼成した結果、油揚げのような独特の黄を発色するが、もともとは青磁のような青を求めて試行錯誤した結果でもあるという。高温で還元焼成すれば青みがかった色になるが、そこまで温度が上がらず酸化焼成となれば黄色になる。そういう試行錯誤の歴史が黄瀬戸という伝統につながっている。

水野さんに焼成室の壁を見るように促される。壁は一面、青みがかって輝いていた。

登窯の壁面

焼成時に投げ込まれる松材が高温で燃える過程で灰が自然に釉薬となり瀬戸が求めていた青を発色しているのだという。窯内部が釉薬に覆われているのだ。

瀬戸はこの青を求めた。しかし生み出されたものは美しい黄だった、ということ。

やきものの奥深さを物語っている。