KAJIYA BLOG

人文系大学教員の読書・民藝・エッセイブログ

もし、本をどうやって読んだら良いかわからない、と大学一年生に問われたら

大学生がなかなか本を“読まない”と言われて久しい。
すでに一般論になってしまっているし、月の読書時間が0分という学生が50%近いというデータ*1もあるから、ひとまずそういう前提で考えてみたい。

ところで、このブログ記事では「読まない」ということと「読めない」ということを区別して捉えるところから始める。

「読まない」のと「読めない」のとでは大きな違いがある。

「読まない」のであれば、どうすれば読書に対する関心を持ってもらえるかを考えることになるし、
「読めない」のであれば、どうすれば読めるようになるのか、方法や考え方をどう助言すればよいか考えることになる。

世の中の一般論は、「読まない」大学生を案じている傾向がある。

 

だが一方で、自分の接する学生たちをみていると、読みたくても、読んだ方が良いとわかっているけど、うまく読めず、結果的に読まないでいる、という「読めない」学生も一定数いるように感じる。

 どんな本を読んだら良いのかわからない
 読もうと思うけれども集中力が続かない
 どういうところに注意して読めばよいのかわからない
 書かれている内容を把握するまでに時間がかかる
 いくら読み込んでも内容がピンとこない
 せっかく読んでも読み終えた時に頭の中に内容が残っていない
 いろいろ本がありすぎて読みきれない

「うまく読めない」と感じる人はこう言う症状を抱えているのではないだろうか。自分にも同様の経験がある。
本読みたいのだけれども、うまく「読めない」という学生がいれば、教師の出番である。教師として何か手助けできないか、最大限考えたい。

 

上記の各症状にはそれぞれ処方があると思うが、さしあたり総合感冒薬的に次の本をお勧めしたい。

 平野啓一郎『本の読み方 スローリーディングの実践』PHP文庫、2019

もし、本をどうやって読んだら良いかわからない、と学生に問われたら、手始めに、この本をまず読んでみなさいと、答えたい。*2

平野啓一郎氏は小説家。1998年に『日蝕』でデビューし、翌年同作品で芥川賞を受賞している。当時23歳で最年少受賞だった。その後小説家としての活躍に加え、文化評論や社会問題への発言なども多く、この世代の文壇人としては最も勢いも影響力も発言力もある人物の一人だと思う。*3

その平野氏が書いた読書論である。この本が書かれたのは2006年。PHP新書から刊行されている。現在は文庫化されて読み継がれている。今なお読む価値のある読書論だ。

 

この本は、基礎編、テクニック編、実践編の3部構成になっている。

基礎編では、本を読めるようになるための考え方を、かなりわかりやすく示している。大学生でこれも読めない、理解不能という人はほぼいないだろう。*4

平野啓一郎氏は相当な知識人であるが、実は結構なスローリーダー(遅読家)なのだそうだ。
ものすごい勢いで次から次へと本を読みこなしていくタイプの人ではないらしく、限られた本をじっくりゆっくり読んで理解する。量より質。速読に対しては否定的な立場をとっている。*5

そしてこの基礎編では、本を読めているとはどういうことなのか、どういう状態なのかを示し、さらに本を読めるとどんないいことがあるのかを説いている。
理念的なことを語っているが、先にも書いた通りかなりわかりやすい。平易な文章である。そして腑に落ちる。この章だけを読んだとしても価値がある。

 

この本のお勧めしたいもう一つの理由は、サブタイトルにあるとおり、「実践」を示しているところだ。

「実践」を示すことは学生には特に大切な要素だと思う。

テクニック編では、実際に小説や論説文の読み方について説いている。
まずは本に書かれていることを「正しく」読む。これが大前提だ。この場合の「正しく」とは筆者の言いたいことを正確に理解すること。読み間違い(誤読)を避け、難解であってもじっくり読み解いて筆者の意図を探る、地道でスローな読書を通して「正しさ」に迫る。

平野氏は京都大学法学部を卒業している。大学受験を戦いぬいた経験などを通してこのテクニックを磨いてきたのだろう。ある意味、大学受験生の現代文対策用テキストとして読んでもらっても良いくらいだ。*6

読書とは、書いてあることを「正しく」理解した上で、それに自分の考察や感想などを重ね合わせ、自分だけの「読み」に昇華していく行為である。わざわざ本を読む意義はそこにある。この「読み」が自分の知識、思考の血肉になる。

だから、早く読んだり、量を誇ったりする以前に、「正しく」読めるということを第一に追求しなければならない。本が読めるには「正しく」読解するテクニックとトレーニングが必要だ。*7

実践編では、平野氏が実際に本をどんなふうに読み進めていくのか、思考のプロセスを見せてくれている。
扱っている本(テクスト)は、漱石、鴎外、カフカ三島由紀夫川端康成金原ひとみ平野啓一郎フーコーである。平野氏の読解力の高さを確かめることができる。ただ、サンプルが小説に寄っているのが個人的には少し残念ではある。文学好きの学生にはよいが、そうではない学生にもこの本を読んでもらいたいからだ。その意味で、最後にフーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』を扱っているのは面白い。大学で難しい理論書にチャレンジする場合の参考になるだろう。

 

まずはこの本のアドバイスに従って、何か自由に一冊、じっくり読んでみてはどうだろう。
おそらく、その一冊読むだけでも、本をどのような感じで読み進めれば良いのか、といった疑問がある程度解消し、「読める」とはこういうことかと、読解力の向上を実感できるのではないかと思う。即効性の期待できるアドバイスが示されていることがこの本の魅力だ。
念のため補足しておくと、ある段階で「読めない」から急に「読める」に変わるわけではない。少しずつ変化し、気づいたら読めるようになっていた、となるのが一般だろう。ただし、平野氏の本を踏まえて読めば、もしかするとその変化を実感できる可能性がある。それを実感できれば、その後の読書行動は変わるはずである。

 

さて、この本を再読して、改めて思うのは、大学受験の国語(特に現代文)の重要性である。
英語や数学に比して、国語は勉強法としては確立していない(ように見える)。勉強といっても過去問を解いてみるくらいだったり、また模試でもなぜ模範解答がそのようになるのかもあまりピンとこないまま、やりすごしたり。そういう勉強をしている受験生も少なくないだろう。日本語話者だから勉強せずとも国語はある程度できるはず、異常に国語ができる人は特別な言語センスのある人、と思われている節もある。

だが、このような考え方を平野氏は否定する。国語問題には解く方法がきちんとあるのだ。
国語問題の場合は、問題文本文の筆者の他に、問題の作題者がいる。国語問題とは、本文筆者の考えを正確に理解しつつ、その本文を用いて問題文を作成した作題者の考えも正確に理解する必要がある。

言われてみればその通りで、問題文の後半は、作題者が作成した文章で構成されている。受験生はそれらも含めて、正しく理解することが求められているということになる。

 

入試問題の話は余談だが、現代文の入試問題と取っ組み合ってきた学生とそうではない学生とでは、入学時点で読解力に差ができていることは、平野氏を説を聞いていれば容易に想像できる。
であれば、早いうちに「読めない」学生は読めるようにならなければ、そして「読まない」学生も読むようにならなければ、「読める」学生との間で、知識の量も考え方の質も、大学4年間でどんどん引き離されていくことになる。*8

本を読めるかどうかは、大学生活のみならずその後の人生の充実度も左右する。大学時代に本を読めるようになっていれば、その後も着実に知識や見識を積み上げていくことができる。
だが、本を読むことができるようになっていなければ、その後の積み上げは見込めない。10年後、20年後、他の同輩たちとの差という形で重くのしかかってくるはずだ。後輩や若手たちから教養のない人だと軽くみなされてしまうようになるだろう。

もし大学入学段階で本が「読めない」という状態であるならば、ここで挽回しておかなければならない。
そのために、私の講義の他に、平野先生の講義も併せて受講しておくことをお勧めする。*9

公開:2022年1月14日
改稿:2022年1月15日

 

*1:全国大学生協連が毎年学生生活実態調査を行っており、その調査項目の一つに読書時間に関するものがある。https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

*2:ついでにこのブログ記事も勧める

*3:平野氏の小説もお勧め。有名なのは映画化もされた『マチネの終わりに』2016だが、個人的には『ある男』2018をお勧めする。

*4:もし本当に読めなかったら、このブログもすでに理解不能だと思う。そういう人には特別講義を開講する必要がある。

*5:このブログで、一日一冊主義を貫いていた時期があったことを書いたが、平野氏からは否定されるだろう(笑)https://t-kajiya.hatenablog.com/entry/2022/01/03/193002

*6:テクニックを身につけたいのであれば、西岡壱誠『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書』東洋経済新報社、2018も参考になる。ただ、読書を単にテクニックの問題、実用的な問題であると捉えてほしくはない。『東大読書』もその点踏まえてはいるが、なにぶんお手軽なハウツー本のような体裁になっている(さらにマンガ化までされている)ので、実用的な読み方だけをされないか心配である。平野氏の新書のような読書の理念的な部分を理解してからのテクニック論であると思う。

*7:読書において読解の「正しさ」が重要であることは多くの読書論者が論じている。たとえば内田義彦『読書と社会科学』岩波新書。正しい理解なく速読して読書量を稼いでもあまり意味はない。もちろん、子供の頃に夢中になって次から次へと物語を読む、いわゆる乱読を否定するつもりもない。ただ、ここでは大学生が知識・教養を身につけるための読書について述べている。

*8:もちろん読書以外にも知識や考え方を身につける手段はある。読書だけを特権化するつもりはない。むしろ読書以外の経験も重要だと考えている。
ライフネット生命創業者で立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏は人間形成において「人・本・旅」の重要性を説いていて、筆者もそれに共感している。
つまり、本を読めるようにならなければならない、というだけではない。本はもちろん読むし、それに加えて多くの人との交流をもち、さまざまなところに自分で出向いて見聞を広めることを学生時代に行ってほしい。ただ、その前に、本を読めない、読まない、という時点ですでに人間形成のための大事な要素を一つ欠いている、と思うのである。この話題についてはいつかまた別に書きたいと考えている。

*9:同時に、私の講義でも、今後初年時の読書教育をさらに充実させたいと考えている。